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九州の情勢と南北朝合一まで

九州地方では、多々良浜の戦いで足利方に敗れた菊池氏などの南朝勢力と、尊氏が残した一色範氏や仁木義長などの勢力が争いを続けていた。南朝勢力を強化するために、後醍醐天皇の皇子である懐良親王が征西将軍として派遣され、筑後川の戦い(大保原の戦い)では、南朝方の懐良親王、菊池武光、赤星武貫、宇都宮貞久、草野永幸らと北朝方の少弐頼尚、少弐直資の父子、大友氏時、城井冬綱ら両軍合わせて約10万人が戦ったとされる。この戦いに敗れた北朝方は大宰府に逃れ、九州はこの後10年ほど南朝の支配下に入ることとなった。

また観応の擾乱が起こると足利直冬が加わり、三勢力が抗争する鼎立状態となる。この頃、朝鮮半島や中国の沿岸などで倭寇(前期倭寇と呼ばれる)と呼ばれる海上集団が活動し始めており、懐良親王は倭寇の取り締まりを条件に明朝から冊封を受け、「日本国王」としての権威で勢力を強める。室町幕府は今川貞世を九州へ派遣して南朝勢力を鎮圧し、直冬も幕府に屈服したため、足利義満の代には九州も幕府の支配するところとなった。その後、足利義満が新たに冊封されて「日本国王」となる。
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弘和/永徳・元中/至徳年間に入ると、南朝は動乱初期からその支えとして活躍してきた懐良親王、北畠顕能、宗良親王の相次ぐ死と、対北朝強硬路線を通していた長慶天皇の譲位により、衰退を極める事となったが、明徳年間の足利義満による相次ぐ有力守護大名勢力削減により、北朝に抵抗する術を殆ど失うようになる。このような情勢の中で1392年(元中9年/明徳3年)、足利義満の斡旋で、大覚寺統と持明院統の両統迭立と、全国の国衙領を大覚寺統の所有とすること(実際には国衙領はわずかしかなかった)を条件に、南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に三種の神器を渡し、南北朝が合体した(明徳の和談)。

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2009年06月08日 07:51に投稿されたエントリーのページです。

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